2004 年度 活動報告書

( 2004年 4 月 1 日〜 2005 年 3 月 31 日)

特定非営利活動法人 ワールドワイドファミリー

ネパールの支援

ネパールの支援 HOME FOR BUDDHAS では、ネパールのポカラを中心にストリートチルドレンの生活支援、盲学校の生徒たちの生活支援、女性たちの自立支援、ハンセン病老人の生活支援を行っている。ネパールでは 2004 年 8 月以来マオイストの脅迫、道路封鎖、爆発事件、イラクの殺害についての暴動、国王による政変、反乱など、治安が悪化する一方である。

●ストリートチルドレンの生活支援

現在 310 人のストリートチルドレンの生活支援を行っている。

2001 年 1 月からネパールのポカラで生活支援した最初のストリートチルドレンの数は 27 人、その後、マオイストの戦いや洪水などで増加し、 2002 年 3 月は 200 人、 200 4年末に、 270 人となった。カウンダラに建設した避難所は 2002 年の洪水で流され、子供たちは3つの学校に別れ、学校で寝泊りしている。両親親戚が貧しくて通ってくる子供たちもいる。毎日、昼食と夕食を 2 回食べさせる。住民の理解と協力のもと、野菜やミルクなどを供給してもらったり、食糧を安く分けてもらい、無料の教育、無料の医療を受けるように交渉し、最大限の努力を行っている。現地では住民に理解され協力が得られるようになり、野菜や米などを少しずつ供給してもらっている。カウンダラの避難所は住民の協力で修復中である。

2004 年からカトマンズでも 40 人のストリートチルドレンのために 50 ドル/月の家を借り生活支援をし、教育を行っている。 2004 年夏からマオイストの暴動やら政変などで、食物の価格が高騰しているが、支援を継続している。

日本から古着や毛布を送る。

●女性の自立支援

2002 年 9 月、ネパールのポカラで女性が自立できるようにマヤデビ訓練所を設立した。ストリートチルドレンを少なくするためにも女性の教育や経済的自立が必要である。ミシンを購入し、縫製、編物、染色、農業、酪農、あらゆる職業訓練や識字教育などを行なっている。3人の縫製、編物、染色などの手工芸の先生がいる。水道代、電気代込みの家賃 65 ドル/月の部屋を借りていたが、部屋も狭く路上にはみ出して技術を習得している。 2003 年 3 月には訓練を受けている女性たちは 135 人であった。ミシンは 18 台寄附した。 2003 年、ポカラの訓練所だけでなくカウンダラにも支所を設立した。店を出し、籠、手編みの編物、マット、壁掛け、農産物を売り、経済力をつけ始めた。 2003 年 12 月末、政府から、盲学校の敷地内にある学校の空いている教室にマヤデビ訓練所を移転することが許可され、家賃の心配もなくなった。 2004 年編み機を 2 台寄附し、高度な技術の編み物もできるようになった。マヤデビ訓練所には現在 200 人の女性たちが通っている。

●盲学校の生徒たちの生活支援と教育支援

ネパールのポカラで 52 人の盲学校生徒たちの生活支援を行なっている。 4 人の先生と 2 人の料理人と 1 人の料理のアシスタントがいる。 2001 年、雨季でも遊べるように水飲み場に屋根をつけた。毎日、生徒たちは寄宿舎で泊まり勉強をしている。生徒たちに健康食やミルクや肉などの特別食を与えている。卒業生たちはミュージシャンになったりラジオ局に勤めたり、自立していく。 2004 年度も7人の女子生徒がカレッジに通えるように奨学金を与えている。盲学校は善意な人々からの寄附が得られるようになってきた。

●ハンセン病老人の生活支援

ネパールのポカラで 70 歳以上の医療から見放されたハンセン病患者 16 人の生活支援を行なっている。老人たちは料理や野菜栽培などに喜びを見出し自立してきている。週に一度は女性たちが交代で様子を見にいく。人が訪問をすると老人たちは嬉しそうである。時々、砂糖や米や小麦粉を届け交流を行っている。

●土地と建物の検討

2002 年 11 月、盲学校の敷地内に、 2 年以内に建設を着工するという条件で政府より 2 エーカーの借地権が与えられた。日本人が現地へ行って現地の人々と交流し何かしたいと思い行動することが大切である。土地に滞在施設も検討したが、ポカラのレイクサイドにでは安いホテルが多数あるので、増加しているストリートチルドレンが寝泊りできる建物が相応しいということで計画中である。

コンゴ・キンシャサの支援 

コンゴ訪問

2004 年 11 月、日本人スタッフ2人が現地へ視察へ行く。

ストリートチルドレンの支援

1994年より FOCICOのセンターでストリートチルドレンを預かり、子供たちが読み書きの指導と復習を行なっていた。子供が絵を見たり、歌を習う。先生はボランティアで働き、先生によるテストなどの選抜で、知的で勉強を継続したい子供にはセンター近くの公立学校に通わせる。普通の学校に行きたがらない子供には、仕事を習得するための専門の訓練センターへ送る。電気器具の修理などの訓練で、6か月から12月間通わせる。訓練センターは通常の学校より少し授業料が高めである。コンゴ・キンシャサでは小学校(6年間)の公立学校の授業料は無料であるが、政府に学校のメンテナンス代を払い、本屋、交通費や、文房具代がかかる。

2000年頃から 親が死んだり、病気で世話ができなかったり、身寄りのない貧しい子供たち事情を調べて、良心的な家庭を選んで養子として迎え育てるようになった。そのような子供は現在27人いてFOCICOチルドレンと呼ぶ。時々子供たちに会い、子供たちの様子と経過を調べる。家族の一員として扱われ、教育を受け、実の子供と同じように愛情を注ぎ、躾を行い、育てる。コンゴではキリスト教が普及し博愛の精神があり、子供の数が多く、離婚再婚も多いので養子縁組がうまくいく。小学校は3か月で 20ドルほどの寄付金が必要である。2004年11月FOCICOチルドレンの歓迎会を開き、子供たちに会って交流し、日本から持って行った古着や靴のプレゼントをする。

日本からは 3回コンゴへ荷物を送ったが、1年前に船便で郵送したものだけが到着している。

ストリートチルドレンの町

子供たちは読み、書き、歌い、時々食べ、夜は路上に帰っていく。子供たちが宿舎できる家を作るために 1991年Binza県に大きな場所を買い、25mx11mの家を建築を着工したが未完成である。すべての仕事を完成し、ストリートチルドレンたちの家にするには、建物(部屋が6部屋ほど、ガラスなど頑丈にして)に40000ドル、外の塀などに4000ドルかかる。土地が100mx150mと広いからである。構内は遊び場にし、畑なども計画している。しかし資金が集まらない。

●困窮者の支援

病院にいる大変貧しい人(病気でお金のない人、特に子供や老人)に手術などのための財政的援助や、物資援助を行う。センターにやってくる失業者に仕事を与えたり、子供たちへ支援する。

滞在施設 

○小さな家を整備

Lemba-Salongo 県に、1つの寝室や居間、1つのキッチン、1つのオフィスも計画している。この小さなゲストハウスには2人の客が利用できる。エアコンディショナーと 2 段ベッドを置き、世話するファミリーがいるので安心して日本人が滞在できる。安全な通りに面し、近くに店もあり、近所に数少ない日本人も住んでいるので、便利である。

○国際ゲストハウスの準備

科学会議を開催したり、本を収集し、研究できる体制を作る。人種、文化、宗教、国を超えて世界中の人々を理解し、平和と愛と寛容などの美徳などをテーマにする。実際会って話し合って交流する場を作るために、 1995 年にFOCICO国際ゲストハウスを建設し始め、 2003 年、建物は完成した。国際ゲストハウスには4つの部屋があり、2つのリビングルーム、1つのキッチン、バスルーム、キンシャサの Mont Ngafula 県にある家の周りには大きなスペースがある。内部のユーティリティを設けたり、内装や補助的支援が必要である。(例えばデザインや塗装やエアコンディショナー、セキュリティー業者の年間支払い、ベッドや椅子、輸送する車やテレビや窓ガラスなど)それらのすべての費用は 8500 ドルかかる。

この小さなゲストハウスと国際ゲストハウスにたくさんの人が滞在できる。キンシャサを訪問すると本当に人生を楽しむことができる。国際ゲストハウスに滞在し、近くにあるストリートチルドレンの施設で子供たちの世話をすることができる。

● コンゴへの物質支援

コンゴは物不足で、日本から余った物何でも歓迎される。日本から古着など送ったが、船便だと 1年かかるが到着する。

日本

調査研究、報告と日本の対応

「ネパールとコンゴのストリートチルドレンの現地調査と支援に関する国際比較」

より効果的な支援を行うために、日本学術振興会の奨励研究により調査研究を行った。今年度はコンゴを訪問し、ストリートチルドレンを生み出す背景やストリートチルドレンの声などまとめ、必要な支援を検討する。政情不安定となり渡航ができなかったネパールは、現地責任者の報告を受け、ホームページにまとめる。又、現地からEメールで受け取る報告と日本からの支援の内容を逐次ホームページ ( http://wwfamily.dyndns.org/ )  に載せる。それにより理解され日本人の支援を少しずつ得られる。日本からも物やお金が直接、効果的に活かされるように努める。日本からの僅かな支援でもネパールやコンゴでは大きく活きる。