ネパールー日本間のE-mailより
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2002年3月24日現在のネパールの活動
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| Q ネパールでの現在の活動を詳しく教えてください
2002-3-21
A 2002-3-24 1、27人のストリート(ホームレス)チュードレンが常時います。常時いるのは3歳から7歳までの子供たちです。 2、酔っ払いの夫に虐待されていたり、家族に裏切られたり、離れた村で家族がいない、70人の女性たちがいます。12人だけ私たちの避難所にいて、その何人かは重病人です。 3、殆どの女性は友人たちの所に戻り、何人かは遠い親戚の家に戻っています。又何人かは1つの部屋を借りています、4,5人で一緒に住んでいます。1月10ドルほどの家賃で、安いのです。 4、昨年から医療に見放された(彼らにとってもう医療が無効な)70歳以上のライ病患者16人を見つけました。本当に難しかったけど、ポカラの外で(TUTUNGAと呼ばれる場所で)自由なスペースを見つけることがなんとかできました。私の家から車で1時間の所です。その場所はすでに少しだけ部屋があり、私はただで得られるように政府と交渉し、今や、やっと勝ち取ったのです。その老人たちをなんとか落ち着かせました。彼らが毎日お祈りできるように祭壇もあります。彼らは6人の男性と10人の女性です。彼らの全員の写真があります。大きな何もない土地だったので私は彼らに種を与えて、肥料をあげたので、作物を育てて、彼らは幸せで今では誇りに思っています。もうすぐモンスーンが近づきます。冬がちょうど終わって、私は食物を供給しなくてはいけません。彼らはちょっとしか食べません。丁度2週間前、私は灯油の調理用コンロを買いました。彼らは自分たちの方法で調理するのが好きです。私は時々洗浄石鹸、スパイスと、育てられる特別な豆を供給します。 5、さてあなたが見た盲学校ですが、毎日3回食事を与えて、文房具(目の見えない人のための特別な)書く板や数える道具など、インドから取りよせ高価なものです。 これらすべての費用、毎月600ドルほどかかりますが、私の前に退職した貯金や家族から出しています。私があなたに会うまで貧しい状態でした。私はとてもフラストレーションがたまって、時折り私の土地殆どを売っていました、そしてたくさんのドアをたたいていました。時々人々は洋服の袋を捨てたり、お米を残したりしますが、そんなことはとってもできないことです。私はとても傷ついていました。1つの病院は私に1か月に2回、彼らが来てくれて子供たちをチェックしてくれると約束してくれたのは、とても嬉しかったです、彼らは又薬を持ってきてくれたので、私たちは心配しなくなりました。では深刻な事体は、私たちには子供たちを抱いたり世話をすうる助けがないことでした。私たちの場所はとても綺麗だけど、環境は純粋ではなかったのです。 Q 日本に送ってくれたビデオは何故盲学校だけ収録されているのですか?2002-3-21 A 2002-3-24 私は彼らすべてを撮れたらいいなと思っています。しかし私は素晴らしい写真のアルバムがあなたたち親切な友人のために用意しています。満足すると思います。 Q 支援する人たちについて、それから送ってくれた素敵なパジャマのサンプルは誰が作ったのですか?2002-3-21 A 2002-3-24 彼女たちは店などの結びつきは何もありません。私たちは何をすべきか知っているのでここにいるのです。私は彼女たちに毎日フラストレーションをためるなと励ましています。彼女たちの仕事や製品は、彼女たちの状態がよくなっているので価値を持ちます。あなたたちがサンプルのパジャマを気に入ってくれて嬉しいです。私は確信を持っています、そして神を信じています。彼女経ちの一生懸命した仕事が世の中に受け入れられる。彼女たちは大変いい人たちです。私が彼女たちに、日本の友人たちが彼女たちの仕事が気に入ってくれたと説明したら、幾人かの女性たしは信じられないと言ったり、涙を流す人もいました。これはご褒美で報われたのです。ありがとうございます。 |